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『小劇場オペラ《出雲阿国》』に寄せて
今回の演目の題材である出雲阿国という人物については、はっきりとした記録が残っておらず、様々な断片的な言い伝えによって現代まで語り継がれているのみだという。
島根での初演の際、出来たばかりの楽譜と台本、ホールからいただいた舞台配置図を手元に稽古場に顔を出していくうちに、そこで行われている、歴史という書物の中にバラバラに配置された「出雲阿国」の断片をつなぎあわせひとつの像に仕上げようとする、音楽と文学の働きに気がついた。
その働きは、建築史の中に登場する磐境(いわさか)とか磐座(いわくら)の働きに共通するように感じられた。神社建築の最古の姿、もとい信仰の場所が建築化されるさらに前の姿のことである。
人々は、森の中の何でもない(ように一見見える)場を見つけ出し、仮設の岩で特別な領域をつくりだした。そうすることでその場所を神聖化し、そこに信仰の断片を結集させることで、強力なエネルギーを体験する場所としたのである。ここに屋根をかけ始めたのが神社建築の始まりとされている。
さて、アメリカの神学者Harvey Cox によれば、「祭り(ritual-festivity complex)」とは「神と人との交流」である「儀礼(ritual)」と「人と人との交流」である「祝祭(festivity)」との複合概念である。
柳田國男が『日本の祭』のなかで、「祭りから祭礼へ」と論じたように、今日の“祭り” は「儀礼」の要素が薄れ、「祝祭」のみが強調される「祭礼→神なき祭り」となっている。なかでも「イベント」とは、福原敏男(武蔵大学)によれば「祝祭」から信仰的要素が失われ、それが極度に商業化したものである。
Martin Heidegger のいうように、芸術作品の根源が、「大地・天空・人・神」をめぐる場所の顕在化であるとすれば、空間に芸術作品が立ち現れるとき、「イベント」は「祭り」に接近する。
今回の企画では、音楽作品と文学作品による「出雲阿国」像に、空間的演出を加えることで、舞台場に「出雲阿国」を結集させ、皆さんにそのエネルギーを体験していただくことを目指している。